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13年ぶりのクラシック・アルバムを発表
ソプラノ歌手・柴田智子に聞く
ニューヨークで公演されたオペラ「夕鶴」で華々しくデビュー。後にイタリアへ留学して、オペラの伝統と芸術性を学び取ったソプラノ歌手・柴田智子が本格的なクラシック・アルバムを13年ぶりに日本でリリースした。ニューヨークで9・11テロに遭遇したすさまじい体験を経て、自身の音楽観にも大きな変化があったという。その心境を聞いてみた。
「何かできることはないかと、近くの病院へ行ったんですよ。どんどん病院の外にけが人が並んで、待てないでみんな息途絶えて行くんです。その人たちの手を握ってくれと言われて。正視もできない悲惨な状況で、私はボランティアとしての訓練も受けていないし。ただただ手を握って『もう少しだから、頑張れ。頑張れ』って言うのが精いっぱいでした」
2001年、9・11のその日、ニューヨークに住んでいた柴田は、ツインタワー近くの地下鉄内で爆風に吹き飛ばされながらも、地上にはい出して、自ら救援活動に参加していた・・・。
東京で生まれ、武蔵野音楽大学を卒業後、1984年に渡米。マヌス音楽大学を経て名門ジュリアード音楽院で学んだ。
「いろんな人種の方がいて、いろんなジャンルの音楽があって自由がある。そんなアメリカで、人間としての自分を試してみたかった」
渡米した年に、英語版オペラ「夕鶴」(團伊玖磨作曲)の、つう役でアメリカ・デビュー。ニューヨーク・タイムズ紙に絶賛されて、一気に未来が開けた。オペラに限らずミュージカルや現代音楽まで、幅広い分野での活動が軌道に乗ってきた時に、これでいいのかという疑問が頭をよぎった。「このまま(の声の出し方)では歌えなくなると分かっていましたし、本場のオペラをじっくりと学んでみたいと思って」88年から3年間、米国政府の給費留学生としてイタリア・ミラノに留学した。
「17歳くらいの女の子と並んで発声練習をするんですが、女の子にできて私はできない。相当まいりました(笑い)」と、苦労しながらも、ヨーロッパに息づく伝統へのこだわりや、アメリカ合理主義にはなかった人間主義を、オペラの真髄として学び、永住権のあるアメリカに帰ってきた。
円熟味を増した96年にはビートルズの曲をアリアで歌う画期的なアルバム「LET IT BE」を出したり、さらには後進の育成にも力を入れるようになる。
「大学で教えるようになって、先生として自分の技術を人に渡していく毎日が続く。そんな中で歌うことをちょっとあきらめていた時期が正直、あったんですね」
9・11の惨状のまっただ中で、柴田は本当の自分の心と向きあうことになった。
9・11がれきの街に歌声流れ
「避難場所でボランティアをしていた時に、知り合いのバイオリニストが来てくれて、雨の中で弾いてくれた。そのうち彼のストラディバリウスが湿って音が出なくなったんです。そしたら『君には声があるじゃないか。歌って』と言われて」
重なる疲労と粉塵や煙で喉を痛め、満足に声が出ない中、アカペラ(無伴奏)で「アメイジング・グレイス」や、ヘンデルの「泣かせたまえ」を歌った。
涙が出たからだいじょうぶ!
「疲れていて、人の心が動かない状態だった。でも、不眠不休で働いていた一人の消防士さんの目から、つーっと涙が流れて『僕、涙が流れたから大丈夫だから』って言ってくださって。『ありがとう』と言って、タワーの方に救出活動へ向かって行ったんです。
何があっても、もうだめだと思っても、音楽は不思議な力を人に満たしてくれる。その力を人に与えられるような歌手になりたいと、柴田は思った。自分のすべてを音楽に捧げる決意をした、その瞬間だった。
★ アルバム「マイ・アメリカン・ドリーム」はアメリカにちなんだ美しい曲の中から、川のほとりで、ちいさな子馬たちなどのアメリカの古い歌や、「トスカ」「トゥーランドット」「フィガロの結婚」などの有名オペラのアリアなど、合計11曲を収録。9月11日からフロレスタンより発売中。価格は3000円(税込み)。
★ 柴田智子ソプラノ・リサイタル=11月29日、HAKUJU HALL(ハクジュ・ホール=東京都渋谷区)で開催。
問い合わせはリサイタル・CDともにフロレスタン(電話:03-6457-4695)へ。
2009/11/05
株式会社T.S.PROJECT INTERNATIONAL